消去法のソロツーをなくしたい

コロナのおうち時間を有効活用して、起業して以来納屋にしまい込んでしまったバイクを社会復帰させました。

そんな事務局担当者が令和のリターンライダーとなったとき、真っ先に感じたこと。

「あれ?誰か、いない?」

相手探しの環境が激変したギャップでした。

もちろんライダーな知人友人、いないわけではありません

しかし、旧友やかつての同僚たちは、

  • すでにバイクに乗っていない(×)
  • 車種車格や趣味趣向が合わない(△)
  • 車種車格が合うが遠方である(×~△)
  • 条件は合致も空き時間が合わない(△)
  • それらの情報すらない(-)

現在の人間関係では、

  • 仕事上ゆえ気軽に誘う関係性でない(×)
  • 車種車格や趣味趣向が合わない(△)
  • やはり空き時間が合わない(△)
  • やはり遠方である(×~△)
  • プライベートに立ち入るほどでない(ー)

何より、

  • わざわざ場所と時間を調整する前提で、久しぶりや構えてのコンタクトをとることは面倒

なのです。

仮に「バイクを起こしました!久しぶりに…いかが?」となってもそれは散発的なもので、「また行きましょうね~!」となっても、“面倒な調整”は相変わらず必要。要するに未定の予定基準ではコトが起こりにくい、そんな印象でした。

いずれにしてもプチツーは気軽にしたいのに、アプローチとして少しも気軽でない。それは、モチベーションと手間暇のバランスが悪いなと感じました。

リターンぼっち

先方の都合に乗っかれたり、こちらの都合に乗っかってくれたら、きっと行きたいと思えるのに。

要するに、ライフスタイルが合致しないと、誰かとツーリングなんてできないのかと感じたわけです。

「まあ、うん、ソロツー」

消去法のソロツー

基本的にソロツーを避けたいわけじゃない、むしろソロツーは好きなのです。

しかしながら、同じ楽しみを知る者同士、同走の楽しさの共有はソロツーにありません。それは、バイクの楽しみの一部分を感じることができないということでもあると思います。

「誰か、いないかな」

結果的に余儀なくされるソロツーを重ねながら、ふつふつと湧き上がってきた気持ちでした。

誰かは、いてもいい

ブリティッシュ_旅仕様.jpg

バイクが、好きです。

日常の時間の中で、ふと通りの端で車庫に停まるバイクが目に留まります。しかも自分のバイクと似たジャンルかつ趣味趣向の車体でも見かけようものなら、

「この人に走る相手はいるのだろうか?」

「この車体持ち…どんな方なのだろうか?」

そういうことをふと、ついつい考えます。

そうして、興味のある属性のバイクから、その“背景”である人物に対して連鎖的に興味を持つようです。

潜在的相手が、いるはずだ

思えば街中のここそこにバイクがたくさん、つまりライダーさんもたくさん。

しかし見掛けて考えるだけでは『近くて遠いライダーさん』との接点にまでは、到底つながりません

  • 近いのに接点がない
  • きっかけがあれば接点になる
  • 接点があれば近いことは利点

思えば旧き良き20世紀は『近くに接点だらけ』でした。

  • 近所のバイク屋は情報交換の場だった
  • 職場にも学校にもライダーが多かった

21世紀の令和のいまこれらがありません。リターンして感じたギャップの原因は…そういうことだと思いました

つまり接点を作るための環境があればツーリング相手の候補を探しやすいのでは?と考えました。

知らない人とも走れるはず

さて、InstagramやTwitterで、どこの誰かもわからないライダーさんの日常を覗くということには、知らずのうちに慣れています。

事務局担当者のわたし自身、リターンライダーとなったことを機に個人としてInstagramを始めました。時々思い出したようにの程度ですが、FFさんのバイクライフを、楽しく拝見しています。

オフ車_桜.jpg

そんななか、

「あ、機会があればこの方と走ってみたいな」

時々そう思うことがあります。

距離的にかなわないことも多々ありますが、お近くだったりするとDMでコンタクトをとってみようかな?と。

その時、少しだけ心配したこと。

「仮に快諾いただけたとして、この方とスケジュールが合うのだろうか?

意外と悩ましい問題ですし、もちろん都合は合わせるものでもあり。しかし、お互いの生活のサイクルまではSNSの投稿からは知る由もありません

このスケジューリング段階の不一致の可能性、つーともリンクの「いつ行く、どこへ行く」の切り口へとつながっています

誰かとは「誰でもいい」わけじゃない

きっと我々は属性に興味を持つ

さて、『知ってから一緒に走るより、一緒に走ることを知り合う起点にしたほうが面倒と手間がない』と見立てたことが、つーともリンクの始まりであり本質です。

行こうと思った段階では相手が確定していないから『誰か』で、それはもちろん『行こうと思える誰か』にほかならず。

時間と場所の都合も共通点ですが、興味というものは相手の属性に対して起こりうることです。

当日走っている自分を想像できそうな、そういう属性の一致が強力な動機になってよいはずです。

共通点

昭和平成と同じじゃいられない

ではどのようにして『近くて遠い他人』との接点を作るのか。

新しさとは可能性に対しての自由選択なので、いっそ踏み込んでみました。

  1. 接点の選択肢を「知らない相手」に拡張して
  2. 知らない相手とのリスクはしくみで消去して
  3. 「知っている相手とのツー」に限りなく近似

だとしたら、結局はこれまでどおり単純機会の創出にすぎない。実は自然なことなのではないかと考えるようになっていきました。

つーともリンクは便利で不便な令和における、非効率が利便だった昭和の代替案なのかもしれません。

未知の開拓に付加価値を感じるのか、機会の拡張に違和感を持つのか。自由な選択肢としてこういう切り口が存在してもおかしくない時代になっていると感じます。

消去法のソロツーを無くす意義

もちろんソロツーを無くしたいのではなく、ソロツー好きとしてはあくまでも消去法の結果にソロツーに行かざるを得ないことを無くしたいのです。

ビグスク_紅葉ツー.jpg

ソロツーの本来価値

ライダーとして選択的なソロツーだけになれば、「つまらない」が減少します。

ならば、きっとそのライダーさんの『ライダーとしてのQOL(Quarity Of Life)』はもう少し上がります

一緒に走る楽しみも、ソロツーと同じくらい簡単に選択できたら良いなと思います。

出かけられる喜び

ソロツーの付加価値が増し、並行して出かける相手を探しやすくなれば、もっと出掛けたくなります

「相手を探せなくて」つまらなくなったライダーさんがバイクを降りてしまうことを、少しでも減らせるかもしれません。

ライダー人口の減少が少しでも止まれば、業界の活性化にも悪いことではないと思います。巡り巡って、またライダーに還元されます。

出かけることの副産物

そうしてもっと機会が増えたら、地域の疲弊しかけた消費回復にも、少しだけ貢献できるかもしれません。

単なる移動手段ではなく、その手段そのものを楽しむことができるモビリティのチカラは「出かけようか」という消費行動を起こして、地域社会で小さな消費の循環を生んでいくと思います。

昭和平成から変わらないもの

さて、マッチングの結果として意気投合、つまり素敵な『つーとも』に『リンク』したら…?

つーともとリンクする.jpg

そうですよね、それこそ願ったり叶ったり。

お互いに“気の合う”ライダー同士、双方の『ライダー的人間関係』が共有され、連鎖的に次のリンクを呼ぶことになります。

昔も今も、知り合いの連鎖で直接の知り合いが増えていくことは、本質的に変わりません

時代の変化とともに希薄化する直接コミュニケーションの負の側面として、人間関係の物理的な起点は確実に減少しています。つーともリンクでは、失われつつある人間関係の起点を補うことでライダー間の交流を昔のように活発にできると思います。

持ち寄る分母で便利が増える

ジレンマを抱るだけでは解消しません。ならばみんなで一箇所に持ち寄ってみるくらいは、ものの試しに悪くないと思いませんか?

  1. 「もし誰かいれば」の不確実性を点で発信
  2. 「では出かけましょう」の確実性に面で変換

そんな付加価値を生み出すことができる、種と仕掛けのある魔法です。

つーともリンクは令和の接点探し

  • 遠くの友人より近くの知らない人
  • スケジュール優先、属性重視
  • 知らない不安を知れない安全に

デメリットを摘んでメリットを残すことで、接点の新しいカタチになりました。

気楽な予定、そして安全安心な機会共有を、ぜひつーともリンクで。

本気の予定の前哨戦や、ふとした日常の穴埋めとして、様々な方のライダー人生の厚みの一助になりましたら幸いです